水城西門官道 [歴史]
4日、古代の防衛施設「水城」の発掘調査の報告がありました。水城には西門と東門があり、東門は太宰府市の管轄、西門は大野城市と二つの市にまたがっています。
説明資料によれば、『日本書紀』に「筑紫に大堤を築き水を貯へしむ。名を水城と曰う」とあるそうです。白村江の戦いに敗れた倭(日本)は、唐・新羅連合軍から大宰府を守るために築いた土塁を築きます。博多側の外濠に水をためて侵入を防ごうとしたようです。田植え時のたんぼみたいな状況ではないでしょうか。土塁は長さ1.2キロ、高さ7~10メートル。
出入り口は博多に向かって2か所。今回は西門の門の位置は分かっていますが、博多方面の官道の位置を確定するための調査でしたが、西側の側溝は見つかったが、東側が確認できなかったという。素人の聞きかじりなので間違いがあるかもしれません。来年度も発掘は続けられるそうです。
図は説明資料からです。
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