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定説だけでは・小姑愛と女性性 [寛容な社会]

 

 

過日、太宰府政庁址西側の蔵司(くらつかさ)と言われる倉庫群の跡と言われている発掘と古代朝鮮式山城・大野城の発掘調査結果の報告を聞きました。大野城では、新羅・唐連合軍に敗れた百済からきた人たちの手による建設だと言われていますが、講師は出土した瓦に新羅様式のものが多く、ここの説明をどうするのかという問題があると話されました。歴史的に後のものかもしれないがということでした。

 

「あらぬトラブル防ぐために・愛ある小姑チェックが必要」(2014425日西日本新聞)

浜矩子氏は次のように述べています。

TAP細胞問題についてですが、

「取り返しがつかない事態が発生することを防ぐためには、何が必要か。どのような存在が求 められるのか。それは、うっとうしい小姑だと思う。冷酷無比にして、情け容赦無し。ひたすら、あら探しに情熱をかける。 そのような恐ろしき監視人が必要だ。 そのような人々が活躍している世界が、どこかにあるか。そ れはある。出版とメディアの世界である。この世界には、編集者が存在する。そして校閲のスタッフがおいでになる。特に後者が怖い。彼らは、全く情におぼれることの無い目で、執筆者たちの原稿を見る。どんなに面白いことが書いであっても、事実関係が正しくなければ、バッサリ切られる。どんなに切れ味 鋭い突っ込みがなされていて も、誤解に基づく部分があれば、 ゴリゴリ指摘される。」

 

連ドラ「ごちそうさん」を思い出します。あの小姑は俳優の力もあるのでしょうが、どこかに愛すべきものを感じさせてくれました。

浜氏は続けて

「小姑チェックを当てにできないとなると、これは大変だ。むろん、小姑チェックがあるからと いって、いい加減なことをして いるわけではない。だが、人間、 焦るとどんな取りこぼしがあるか解らない。期待の重圧がのしかかればのしかかるほど、とんでもない逃げ道に駆け込みたくもなる。致命的な失態や非劇から、人々を守ってくれる。それが小姑チェックだ。 研究や教育の世界にも、小姑 チェック役は必要だ。我がゼミの学生さんたちとの関係でいえば、その役割を果たすべきなのが、筆者だ。一番、聞かれたくないことを聞く。一番、言われたくないことを言う。数字の出所を執拗に追求する。

後で決定的な破綻が生じないよう、事前に徹底的小姑と化す。これはなかなかつらいことだが、これぞ至高の愛だ。小姑愛あるところに、トラブル無しである。」

 

北原みのり氏は次のように見る。

 

「若い女性研究者に向ける視線の浅ましさは、見ていてハラハラするほ どだった。やれ割烹着だ、やれ女子力だと持ち上げはしゃぐ報道の数々。若い女性は、たとえ彼女が天才科学者でも、まずは女としての評価が定められるという、女性蔑視の教 科書のような報道にうんざりだった。そして一転。『Nature』誌に掲載された小保方氏らの論文に疑問が認められ、博士論文の剽窃が疑われてからのパッシングは、目に余るものがある。

やっぱりね 下品な報道の先頭を切っているのは、『週刊文春」だ。「乱倫な研究室」というタイトルで、小保方氏がまるで女であることを利用して先輩男性研究者の寵愛を受け自分を売り出させた、 というような内容。甘ったるい声を 出していたとか、お金の使い方が荒 いとか、男性との関わり方などを暴 くように描いていた。 女であることで褒めるメディアほど、()』女であることを貶めるという見方です。

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この国の病理というか、人権意識のレベルを示しているのでしょうか。

 


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