SSブログ

「弁当を持ってこない子」 [貧困]

 
P9030019.JPG

寺島実郎さんは岩波書店『世界』に「脳力のレッスン」という連載を書かれています。9月号は「土門拳『筑豊のこどもたち』と戦後日本」とうものです。全文は  http://www.nissoken.jp/rijicyou/hatugen/kiji20090901.htmlでご覧頂けます。

   「私は、この写真集にある「弁当を持ってこない子」を見ると胸を締めつけられる。私自身は弁当を持っていけないなどという境遇ではなかったが、身近な体験として確かに「弁当を持ってこれない子」がいた。それらの子供は、皆が弁当を食べているのを横目でみながらじっと本を読んでいた。「何故、この子たちは弁当を持ってこないのか」という素朴な疑問がわき、近くの小さな炭鉱で、親が失踪してしまい、姉が妹・弟にザリガニをとって、醤油で煮て食べさせている姿をこの目で見た。 子供心に、親であっても究極の状態になればわが子さえも捨てて逃げるのかという驚きを覚え、個人の努力や情愛では解決し難い「途方もない不条理」「構造的問題」が存在することを直感した。それでも、九州の里山の恵みは偉大で、春には竹の子、秋になると柿やあけびが実り、どんな境遇の子供も逞しく手に入れて喜んで食べていた。母が「給食運動」で動き回っていた。筑豊での一年半は、私に素朴ながらも社会科学的問題意識と思考を芽生えさせた。」
P9030018.JPG

 

寺島さんはTBS「サンデーモーニング」のコメンテーターとしても知られています。筑豊だけでなく、ザリガニを食べるのは私たちもしていました。どこも貧しく、食べ物が少なかった時代でした。雨の日にはザリガニが道路にも出てきます。イ草を食いちぎるということで、殺すように言われていました。道路に出てきたのをつかまえてカンカンに入れて醤油で食べました。

私の田舎では弁当を持参しない子どもがいたかどうか記憶がありません。田舎でしたが給食が小学校3年生ぐらいから始まったように思います。給食代未納というのはあったように思いますが。学校給食が法定化されたのが1954年だそうです。その時期に私たちのところでも始まったように思います。

寺島さんのこの一文から思想的な形成にこれらの体験が強く影響しているように思えます。

P9030021.JPG

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。