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無垢への憧憬 [環境]

 「干と干尋の神隠し」に関しての宮崎駿氏のインタビュー内容の一部です。 

折り返し点―1997~2008

折り返し点―1997~2008

  • 作者: 宮崎 駿
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/07
  • メディア: 単行本

日本人が生きるために必要なもの

監督は、『 となりのトトロ』 もののけ姫]でも、日本の草木に宿る神々 を描いていますが、なぜでしょう。

宮崎

これは亡くなった司馬遼太郎さんもおっしゃっていたことなんですけど、途中から仏教や儒教が入ってきても、結局僕たち日本人のなかには、原始的な宗教心が残ってる。たとえば僕は、「笠地蔵」って話がとても好きなんですけど、あの話に出てくるおじいさんとおばあさんってそれは無欲なんです。笠が売れなくてお餅も買えないけど、お地蔵さんが気の毒だから、雪を払って笠をお地蔵さんにさして帰ってきた。そうするとおばあさんが「いいことなさいましたね」っていうんですよ。そんなふうに生きられたらどんなにいいだろう、それで満足して、生きていくことができたら。僕はそういうおばあさんとの暮らしを夢見るんです。無垢であることは至上のことなんですよ。浄めること、けがれを払うこと、清々 しくあること、邪念をなくすことが、至上のものという考えが、この島国の人間たちの心の奥に、今なおあるんです。そういう無垢への憧憬みたいなものを、僕らは今なお心のどこかで追っている。
ですから自然保護っていうときに、ドイツ人と話すと全然かみ合わないんですよ。彼らは自然をコントロールしようとするけど、僕らはコントロールしたくない、しない場所を作ろうと思うんですよ。欲で汚さない場所を。その生態系に、何か別のものが入り込んで、変わってしまっても構わない。でも、人間の手で汚すのはやめようね、という。こういう考え方って、日本人が国際性をもてない大きな理由かもしれないけど、日本人が日本人であるための大事な部分だと思うんです。リアリズムをなくして滅私奉公とか、そういう方向に暴走する危険性をはらんでいるのかもしれないけど、地球がある種の困難に陥ったときに、自分たちにとって、大切な支えになると思うんです。世界をコントロールしきれないこと、それに対して尊敬の念と謙譲の心を持つということが。
 
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無垢であることが至上であることは自分の中に強くあります。しかし、それは、人とのコミニュケーションを円滑に進めるには障害になるように思います。司馬遼太郎の本が経営者や企業戦士に好まれた背景に「滅私奉公」というものに対する賛美が含まれているように思います。でも、否応なく無垢であることを求めている自分がいます。それは、生き方を窮屈にしているようにも思います。それは、どこかで意識的にこわさねばならないもののようにも思えますが。

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