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執拗な「自己責任論」を考える② [自己責任論]

与えられた条件を無視する

 

 前回述べましたように、障がい者も負担しているが、企業も負担しているのだから同じだという論法があります。企業には法で定められた雇用率を達成しなかった場合であり、現在は300人以下の企業は免除されています。さらに、障がい者雇用をした場合には報奨金があります。企業と個人とは本来比較されないものなのにそこで非難してくる人たちが絶えません。

 例えば、こんなことがあるそうです。ニューヨークハーレムの人とバングラデシュの人たちを比較すると、40歳以上まで生き延びる人の率はハーレムの人が低いそうです。所得そのものはハーレムの人たちが高いのですが、医療費負担の高さ(日本のような健康保険制度がない)や犯罪率の高さなどが考えられるという。

 障がい者が作業所に働きに行くのに利用料がいるということは、会社に働き行って20万円給料を出すが、15万円程度の利用料を会社に払いなさいということです。さらに、障がい者年金があったとしても、6万円余のなかから2万円程度を払いなさいということになります。統合失調症やてんかんの人には障がい者年金がもらえないと人が多いのです。無収入でなく1円でも稼ぎたいと思っても、稼ぎ以上の利用料を求められるという理不尽さがあるのです。

 視覚障がい者が外出に必要なガイドヘルパーをお願いしても利用料が必要です。多くの人たちは歩くだけで利用料はいりません。

 このように生活している条件を無視して、「甘えるな」「もっと努力せよ」という声が続きます。

 こんなことを思い出しました。公務員の人たちが庁舎前で座り込みをしたときに、通行人が「税金泥棒が」と吐き捨てるように言って通り過ぎました。すると、公務員の中から「それなら、自分も公務員になればいいのに」と「反論」がありました。この間にも、想像力の欠如があります。公務員になるには、一定程度の学歴が必要ですし、その学校には行くためには、それなりの経済力が必要です。同じ経済力があって、他の道を選んだとしたら、「公務員になれば」というのも受け容れる余地はありますが。

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 そうした様々な環境の中で人間は生きています。それを無視して「自助努力」のみを強要すれば、それは、人間としての社会ではなく、弱肉強食の動物社会であることを認めることになります。「自助努力」を求める人たちには、一切の寛容も、支えあうことも必要ないと主張しているように思います。

 
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コメント 2

鉄見

そうですね色々考えるとどこか矛盾していますね。
私のような学校にもいけなかった人間には色々なこと
たとえば払う金額は家に送ってくるけどなぜ貰う金額は
秘密?本人が言わないといけないのか?
私は障がい者でも国民年金払いませんか?と言われたら
皆、払わなければいけないと思い病気隠し住み込みで
働いて結局病気になり大変苦しんだけど縁あって結婚
したもののやはり健常者との結婚は辛いことが多かった!
何度家を出ようかと迷ったが可愛い我が子の笑顔で
生きてこれたがやはり障がい者が健常者と暮らすのは
大変だと身にしみて解る。まだ見えるから聞こえるから・・
一人で同じ障がい者達と笑えたら一番良かったのかも
知れないが?少ない年金から払うと生きていけない・・・!
今日は10万以上の金額振り込んだけど詐欺の防止の
ためではない・・・ただ金額をキャッシュカードで扱えば
いくらでも?100万くらいでも振り込めるカラクリも解り
今は色んなこと知らないと大変な時代だな~と
考えましたがまだパソコンの扱いもゲーム感覚で簡単な
ことは解るので解らないことは調べられるけどこの先
生きて行くには私みたいな障がい者は大変な時代に
なって行くようで何か恐怖を感じます。
by 鉄見 (2008-08-18 23:52) 

すずめちゃん

いろいろと不安はありますが
発言を続けることで 理解を広げていくしかないかと思っています
根気が要りますが
by すずめちゃん (2008-08-19 11:12) 

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